――『斎藤一人 天使の翼』を静かに読む
『斎藤一人 天使の翼』
芦川裕子 著
この本を読んでいると、
人生を変える出来事は、
大きな成功や劇的な転機ではなく、
たった一言の理解から始まることがあるのだと気づかされる。
著者の芦川裕子さんは、体が弱く、子どもの頃から日常そのものが負担になるような時間を生きてきた。
外に出られない。
人と同じように動けない。
それを説明する言葉も、受け取ってくれる相手もいない。
そんな日々の中で、裕子さんのお母さんは喫茶店「ピクニック」を営んでいた。
「日本一、閑古鳥が鳴く喫茶店」と呼ばれていたその店に、ある日、静かな気配をまとった若い紳士が現れる。
それが、若き日の斎藤一人さんだった。
ある日、お母さんは一人さんに、何気ない世間話のように、こんなことをこぼす。
うちの子は、ちゃんと挨拶できただろうか。
やっぱりできていないですよね、すみません。
よその子は、出かけたり、部活をしたりしているのに、
うちの子は、家でゴロゴロしてばかりなんです。
その言葉は、物陰にいた裕子さんの耳にも、はっきりと届いていた。
言い返すこともできず、
ただ、心の中で「やめて」と叫ぶしかない、あの感じ。
そのとき、一人さんは言う。
裕子ちゃんが家でゴロゴロしているのには、理由がある。
今は、体がそうさせている。
つらくて、積極的に動ける状態ではない。
まずは、そのことを分かってあげてほしい。
それは、叱責でも、励ましでもない。
評価でも、同情でもない。
ただ「事実を、そのまま受け取る」という態度だった。

裕子さんにとって、それは初めて、
「怠けているのではない」
「努力が足りないのではない」
と、外側の世界から認められた瞬間だった。
人は、理解されるとき、
初めて自分の呼吸を取り戻す。
その後、ご両親は喫茶店を畳み、斎藤一人さんの仕事を手伝うことを選ぶ。
裕子さんは、
この店がなくなったら、もう会えないかもしれない、
そう思って、静かに嘆く。
やがて彼女自身も、
「自分も一人さんのお弟子になりたい」
と願うようになる。
そのとき一人さんがかけた言葉は、
「そのままでいいんだよ」
だった。
ただしそれは、立ち止まることの肯定ではない。
人は、無理をしなくても、
生きているだけで、少しずつ変わっていく。
半歩でもいい。
楽しくて、思わず足が前に出てしまう方向へ。
斎藤一人さんの導きは、いつも「急がせない」。
読み終えて、思ったこと
この本を読みながら、
「分かってもらえなかった時間」を生きた人は、
誰しも心の中に、同じ痛みを持っているのではないかと思った。
私自身も、幼い頃からいじめにあっていた。
けれど当時は、
「好きだからいじめるんだよ」
そんな言葉が、大人の側から平気で返ってくる時代だった。
助けを求める言葉を、
持つことすら許されなかったように思う。
この本が、
今まさに苦しみの渦中にいる人を救えるかどうかは、分からない。
けれど、
その時間をすでに通り過ぎ、
今は少しだけ落ち着いた場所に立っている人がいるなら――
過去の自分に、静かに手渡すように
読んでみてもいい本だと思う。
本の中には、天照大神の話が出てくる。
太陽の神でありながら、
誰にでも「陽の下へ出なさい」とは言わない。
地中で生きるものもいる。
木陰が、ちょうどいい生き物もいる。
光は、浴びすぎなくていい。
ちょうどいい分だけでいい。
凍りついた心を、
いきなり溶かそうとしなくていい。
ほんの少しずつ、
時間をかけて。
『斎藤一人 天使の翼』は、
そんな距離感で、人に寄り添ってくれる一冊だった。

